知覧に伺った翌日、西郷隆盛さんのひ孫、西郷隆男さんのお話しを聞きながら、西郷さんのお墓や西郷南洲顕彰館に行ってまいりました。
やはり、現場に来るっていうのが良いですね。この鹿児島に、西郷隆盛さんが実際居たと思うとすごく興奮しました。そこに、理由なんてありません。なぜか身震いしました。
西郷隆盛さんが産まれた下鍛冶屋町ってところの模型があったのですが、その70戸あまりの小さな町から、日本のリーダーが続々誕生している。司馬遼太郎さんが「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と言うほど、偉大な人物が多く輩出されています。
なぜか?
それはその地域で行われている教育によるものだと言われています。郷中教育と言って、読み書きそろばんはもちろん、論語とかの四書五経や芸などを子供達が学ぶ場所。
人間としてのあり方(道徳)ももちろん学んでいたけど、特に厳しく言葉に出していたのは、
嘘をつくな。
弱い者をいじめるな。
負けるな。
の三つ。
特定の先生はいなくて、16歳を超えたお兄さん達が子供達に教える仕組み。
まぁ、教えると言うよりも、考えさせるものが多かったみたいです。
特に、この町の教育方針として、現代で言うところの「リーダー」を育成するための学びを行っていたらしく、その方法が「詮議」。いわゆる危機管理能力を高める思考。リーダーとして、「こんな時にどうする?」と言うことを何回も何回も考えて話すもの。
これはすごい勉強になりました。会社でもやってみようと思ったし、家庭でもやってみようと思います。
記念館のあとは、西郷隆盛さんのひ孫の西郷隆男さんから、西郷さんの話を聞くことが出来ました。しかも、やはりひ孫さん、子孫として家庭の中で引き継いでいる西郷さんの考え方などを話てくれました。
仲間や家庭の中の全員の意見をちゃんと聞いて、否定はしない。途中でも遮らない。最後まで人の話を聞いて、いっつも、「よかよか〜」と言っていたらしい(と聴き伝えられているそうです)。
だから、みんなが西郷さんを慕い、みんなが頼り、そして皆んなを引っ張って行くことが出来たんだと思う。まさにリーダーだと思いました。
「剛毅木訥、仁に近し」
論語です。
剛毅は「意思が強く簡単には屈しない」と言う意味。
木訥は「飾り気がなく、口数が少ないこと」
そのような人は「仁」、愛情を持っている。
と言う意味。
まさに西郷隆盛さんをイメージさせられます。